幸せな夢の続きを、あなたと

さぁ次はどこを一緒に旅しよう。その先でまた幸せを。

だきしめて旅をする、これからも。~嵐さんと私の話~

※普通に書くともう何から書いたらいいのか分からなってきたので、「untitled」のjunctionの流れに沿って書くことをお許し下さい。また、「untitled」のコンサート映像より一部junctionの文をお借りしています。長めの自分語りがはじまるので苦手な人はごめんなさい。書いてるうちに意外と暗い話になりましたが、これまでもこれからもまぁ基本は愉快に過ごしてますので暗いことばかりではなかったし、ないです笑

 

「これは、ある一人の旅人の言葉」

 

【1】出逢い

 私は嵐さんが10周年を迎えられる頃に嵐のファンになった。

誰かを見てあんなにドキドキしたことも、この人といられたら私は何もいらないのに、という盲目さも全部、嵐さんが初めてで、母親も巻き込んで夢中になって応援しはじめた。

そこから10年間。いつも生活の中に嵐さんがいた。

あれから10年。ランドセルを背負った小学生だった私ももうすぐ20歳になる。

 

 【2】愛

 今はもう「あのときは辛かった」て言えるほどに傷が癒えてきているけど、「辛い」と口にできないくらいしんどい時期があった。

急に暗い話になるけど、中学時代、私は生きるのがへたくそなので簡単に言えば人間関係に失敗した。友達だと思っていた人にとてもきついことを言われたこともあった。泣くと「泣きたいのはこっちだ」と責められ、中2の夏くらいからついに学校を休みがちになると、「休むのは逃げ」「お前だけが辛いと思うなよ」「みんなしんどくても学校に来てる」と言われた。

私はこんなことで辛いと思って逃げてしまうダメな人間なんだと思ってた。そのうちあまりにもしんどくて心が痛みを感じるのをやめてしまった。感情が麻痺してきて、あんなに泣いていたのに今度は泣けなくなった。

私の中学は生活指導に引っかかるようなことを目立ってするような生徒や不登校の生徒も多く、先生も大変だったみたいで、私のようにそこそこちゃんと学校に来て、大人しく授業を受けて帰って行く生徒にあまり構ってはくれなかった。この頃同時進行で恋愛面でもトラブルを抱えていた(当時の彼氏といろいろ揉めた。)ので、本当に誰にも助けて、って言えなくて私はひとりなんかなとか思ってた。てか、私が悪いので、助けてって言うことは間違いだとさえ思ってた。

朝、学校に行くのが嫌すぎてパンひとくち食べただけで吐きそうになりはじめ、1番思い詰めていた時期は、うまいこと全治3ヶ月くらいの怪我をして入院できたら、学校行かなくていいのになとか思ってた。階段を見れば「ここから転げ落ちれば・・」という考えが頭をよぎった。やばい。「死ぬのはこわい。でもこれ生きてていいことあるのかなぁ」と何度も考えた。息をするのが苦しかった。でもいつもコンサートのDVDを見て、嵐のコンサートの景色に憧れて、あぁこれを見るまでは生きないとなぁって。「嵐に会うまではなんとか頑張ろう」それがずっと私を踏みとどまらせてくれた。嵐さんのこと考えてるときは苦しくなかった。

 

 その後、中学休みがちだった上に休んでる間勉強していたわけでもなかったので第一志望の高校には行けなかったけど、結果通うことになった高校でわけわからんくらい優しい人達に囲まれたおかげで、私はすっごく明るくなった。幸せになった。恋でもなく、ただの友達というわけでもなく、特別に大好きな人が何人も出来た。大切なものがいくつも増えた。NEWSやTrySailちゃんを好きになったのも高校に入った頃だった。私は自分が幸せになることを許せるようになった。私は嵐がいなくても生きていくのが楽しくなったし、嵐さえいればいいなんて思わなくなった。いなくても大丈夫なうえでやっぱり好きで、お母さんや友達とキャキャしながら嵐を見ていた。

そしてついに「嵐に会う」ことになるんだけど。

はじめて生で見た嵐のライブの記憶は地獄に行って閻魔をバチーン倒すことになってでも、守り抜きたい(´・ш・)

嵐のライブすごすぎて言葉にできひんし、私の語彙力やと言葉にした瞬間価値が6割減って感じなんでなんも言えんけど、とにかくすごくて笑

長年テレビとかでみてた嵐がそのままそこにいるって感覚が不思議やった。

 

 

 過去に戻れるなら自分を抱きしめたい。辛いって言ってもいいんだよ。間違ってないよ。もっと幸せになれるよ。信じてくれないだろうけど。今すごく幸せなんだよ。今度20周年のコンサート行くんだよ、嵐に会うよ。あのとき嵐に興味を持ってくれてありがとう、生きていてくれてありがとう。って伝えたい。ずっと自分が嫌いだったけどあのとき今の私が幸せになれる選択をしてくれた自分を今なら愛せる気がする。

 

 【3】別れ

 「これからどうやって生きていけばいいの」

2019年1月27日、わけのわからない頭で、出たのはそんな言葉だった。動画と文書を何度見てもうまく飲み込めず、泣いていた。

 

「5人でいる。ずっといる。」

「今までを力に変えて、変わらぬ愛で包み込んだら

永遠が、ほら永遠が僕と君だけに生まれたんだ。」

あれれーこれ夢かな、なんて受け止められずフワフワした状態から何日か経って、なんとなく5×10が聴きたくなって、この歌詞に触れたとき、「5人でいるずっといる」「永遠」それを叶える1つの形として今回の休止があるのかもしれないなぁと思った。嵐が嵐であるために。「嵐は5人じゃないと」、その言葉を嘘にしないために。

永遠なんてない、そのことを忘れたころにまた思い出す。そして悲しくなる。

それは私がずっと永遠とは「同じ状態がずっと続くこと」だと思っていたからだ。

でももしかしたら。もしかしたら、それだけではないのかもしれないと嵐さんを見ていたら思う。「僕」と「君」の間だけに存在する、もっと別の何か。

 

【4】未来

 1月27日の文書の中で翔くんはこう言っている。

嵐が嵐のまま走り抜きたい。

嵐を宝箱に閉じ込めたい。

 

 「宝箱に閉じこめる」ってきらきらした“今まで”をだきしめたまま歩いていくということだと私は思う。

スノードームを割れないように持ち歩くみたいな。たまにひっくり返して中を確認しながら。

 

 スノードームは普通一度とじたらもう中身もきらきらも増やせない。

でも、少し調べてみるとスノードームを蓋付きのジャムの空き瓶で手作りする方法もあるらしい。

そしたら5人はまた蓋を開けて中身を増やしに帰って来るかもしれない。

帰って来る、と私は思う。いつか5人がそれぞれ集めてきた、きらきらを持って。

 

いつか宝箱を再び開いて中身を見せ合うときまで。私も何一つこぼさず持ってゆきたい。

 「君と出会えた日は いつになって宝物さ」NEWSの『madoromi』という曲の中でそう加藤くんは歌う。

はじめて嵐を知ったときに感じたドキドキを。君と僕の見ている風景のコンサート映像を見ながら泣いていたときのことを。念願の嵐のライブに行けた17歳の冬のことを。通学電車の中で聴いたあの曲の思い出を。だきしめて生きていく。私はまだ歩いていける。

 

 

 

まだ見えない未来 どんな出逢い、どんな別れがあるか分からないけれど、思いのままに歩いていこう。まだ旅は続いている。

さあ次はどんな景色を見ようか。

 

 

 

 

 

 

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↑このまえ掃除したら出てきた。字の雰囲気からいくとだいぶ初期の時に書いたと思われる。

 

私へ

大丈夫。安心してここまでおいで、あなたの夢は叶うから。

 嵐みたいになる、が何を意味していたのかは、もう分からないけど、嵐のコンサートみたいにみんなが幸せを共有できる時間とか機会とかをつくりたいなというのが、今の私の夢だよ。なにかの参考になったらいいなと思ってバイト先もそれで選んだんだよ。

あなたのもうひとつの夢もいずれ叶いますように。

私より